瀬田清史写真館
Kiyoshi Seta Photo Alubum


ポーランドから
「黒いマドンナ」
(2019年1月)  
友人のコンサートが古都クラコフであったので行ってきた。
家から車で3時間半かかり、結構遠かった。
翌日友人に連れられて、クラコフの郊外にあるチェンストホーヴァ (Częstochowa)へ行った。
「ヤスナ・グーラ(Jasna Góra)僧院」と「黒いマドンナ(Czarna Madonna)」で有名な、人口25万人の街だ。

 


 

この「ヤスナ・グーラ僧院」の大聖堂は、バロック様式の美しい内装がとても美しく、立派なパイプオルガンが複数あり、そして、「黒いマドンナ」が収められている。

黒いマドンナとは
イエス・キリストを抱いたマリア像の絵画(イコン)の事で、正式名称は「ヤスナ・グラの聖母 (Matka Boska Jasnogorska」。
聖母マリアの顔が修道院に火が点けられた時の煤で黒くなっているので、「黒い聖母」の異名があり、一般にはこの呼び名で呼ばれているんだそうだ。

顔には2本の傷跡がついているが、モンゴル人がこの黒いマドンナを盗もうとした時に、黒いマドンナが突然重たくなり、盗めなかった腹いせに切りつけたとか、その後に入った強盗が傷つけたものだとも言われているそうだ。
 
 
 8月15日の聖母被昇天の日に、日本の御遍路さんのようにポーランド全土から徒歩で、また世界各地からも訪れるそうだ。毎年1千万人もの信者がお参りに来るんだそうだ。

1655年スウェーデン軍がポーランドを侵略し、ワルシャワ・クラクフなど主要都市の多くが占領された。しかしこの寺院は最後までスウェーデン軍の攻撃に屈せずに戦い抜いた。
この勝利は寺院にあるイコン「黒マリア」の奇跡とされ、それ以来この「黒マリア」は守り神としてポーランド国民から暑く信仰されているとの事。
 


又、この黒いマドンナにお祈りをして不治の病が治った人が跡を絶たないそうで、不要になった松葉杖等が納められれている。

この街の歴史を調べてみると、ポーランドの歴史がよく分かる。
第一次世界大戦中、この街はドイツ軍に占領された。戦後の1918年、新たに生まれたポーランド共和国の一部となる。
1939年のナチによるポーランド侵攻が行われ、2日後の9月3日(日)にドイツ軍がチェンストホヴァへ進軍してきた。翌日、「血塗られた月曜日(Blood Monday)」で知られる、ドイツ軍によるユダヤ人虐殺事件が起こり、1941年にはユダヤ人のゲットーが創られた。
第二次世界大戦の間、チェンストホヴァに住むおよそ45,000人のユダヤ系住民がドイツ軍に殺害された。
チェンストホヴァが赤軍に解放されたのは、1945年1月16日であった。




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